大魔王とおいら〜依存症ですがなにか?〜

45歳 ギャンブル依存、風俗依存、多重債務からの脱却を誓いその軌跡や思いを綴る

おいらとパチンコ②

転勤で東京に出たおいら。慣れない土地での生活、やっとできた彼女との遠距離恋愛。おいらの東京ライフは寂しさと孤独感との闘いでした。結局、彼女とは数ヶ月でお別れしてしまい、より一層、寂しさが募ります。その寂しさを埋めるためにおいらが選んだ手段。それが「パチンコ」でした。

この頃から打ち方が変わってきました。

財布にお金があれば空になるまで打ち、それでも諦めきれず、ATMに走ることもしばしば。一度だけですが、出張先の名古屋でそれをやらかしてしまい、帰りの新幹線代まで使いはたし、慌てて実家に電話して入金してもらったなんてこともありました。それでもこの頃はまだ借金迄はせずに済んでいました。

 

東京に出て1年が過ぎた頃、おいらの精神はとうとう破綻して、夜逃げするように地元に戻りました。会社とも話し合いをし、結局、そのまま地元に配属、しかし、結局、その一年後に退職。もしかしたら、この時にしっかりと心のケアをしなかったのも現状の大きな要因だったかもしれません。

 

退職して間も無く、運良く今の会社に就職。その頃、「パチンコ」から「パチスロ」に転向しました。当時はAT機の出がけ。俗に言う「4号機」というやつだ。おいらはその、爆発的な出玉に直ぐにのめり込みました。つぎ込む金額も加速度を上げていきます。5万突っ込んで10万の勝ちを狙うような時代だった。

 

スロッターの夢「万枚」も何度か経験した。

ある休みの日、開店と同時に打ち始めて、即当たり。午前中で万枚を達成。しかしその日は一日予定がなかったこともあり、そのまま打ち続けた。しかし、午後になるとピタッと当たりが来なくなる。どんどん減るメダル。おいらはどんどんヒートアップして普通のドル箱三箱分の「大箱」を抱えて打った。長いスロット人生の中で大箱抱えて打ってるのは、おいら以外に見たことがない。きっと周りの客はドン引きしてただろうな。。。辛うじて全部は呑まれなかったが、最終的な換金は3万。。。勝っても負けた気分。。。

 

そしておいらはとうとう「借金」という更に泥沼へ足を踏み入れていきます。

借金をしてしまった罪悪感から、なんとか早く返済しようと頑張りました。。。「スロット」を。しかし、それが元で借金を作っているわけですから、借金が減るわけがありません。おいらは焦ります。そしてまた借りて打つ。負けて借りるの繰り返し。勝ったら勝ったで風俗に行ったり(この当時は風俗は息抜き程度)無駄に買い物したり。殆ど返済には回りませんでした。

 

借金をしてからは、「スロット」が全く楽しくなくなりました。とにかく金を得るための手段としか思えなくなってしまったのです。冷静に考えれば「辞めればいいじゃん」と思うかもしれませんが、その思考が崩壊するのが依存症なのです。借金が増えれば増えるほど、打つ頻度は上がり、借金はあっという間に100万を超えました。

その借金の中に、クレジットカードのキャッシングがありました。クレジットカードの場合、毎月、利用明細が郵送で送られてきていました。当時、おいらは実家暮らし。母親は毎月届く利用明細に不審をいだきますが、「使わなくても毎月届くものだ」などとやり過ごしていましたが、ある時とうとう親に明細を開けられてしまいます。親は「間違って開けた」と言っていましたが、今思えば、心配で仕方なくなっておいらのいない間に開けたんでしょう。

その晩、おいらは親に泣いて叱られ、借金の全てを打ち明けました。「もう二度とギャンブルはしない」と親に誓いました。口先の言葉ではなく、本気でそう思いました。借金は親が立て替えて完済し、親に返済していくということになりました。