大魔王とおいら〜依存症ですがなにか?〜

45歳 ギャンブル依存、風俗依存、多重債務からの脱却を誓いその軌跡や思いを綴る

おいらの目的と手段

おはようございます。はっしゅです。

今日は皆さんにおいらの本心をお伝えします。
それは。。。

「依存症って暇だなぁ〜っ!」

ってこと。

おいらは間違いなくギャンブルと風俗に依存していました。残された借金の額を見てもそれは明らかです。当時の打ち方、遊び方はやはり尋常ではありませんでした。

それが、今この段階においてはギャンブルも風俗も

「全くもって無関心」

なのです。

無関心ですから、衝動も襲ってきませんし、興味も湧いてきません。自分で無理やり感情を抑え込んでいるのではないか?と何度も自問自答しましたが、全くもってそんなことはありません。

かと言って依存症が完治したとも思っていません。いつなにかのきっかけで行ってしまえば、また同じ道を辿ることになるでしょう。

では、何故に無関心でいられるのか?ということですが、それは、パチンコに行っていた頃のことをしっかりと振り返り、きちんと自己分析したからです。

人の行動には「目的」があります。そしてその目的を達成するために「手段」を考えます。

おいらの場合、パチンコ自体を楽しいと思って打ったことはありませんでした。
「パチンコしたい!」という娯楽的欲求から行くということは皆無でした。

おいらにとってパチンコはお金の不安を解消するという「目的」を達成できるかもしれない「手段」でしかなかったのです。

当時のおいらは特に使う目的が無くても、常に財布に2万円以上の現金を入れていました。財布の中身が2万円を切ると、不安で仕方がありませんでした。その不安を解消するために選んでいた方法がパチンコでした。当然、勝つ時もあれば負ける時もあります。負ける時は財布が空になるまで打ちました。そして帰りに決まって3万円のキャッシングをしていました。勝てば勝ったで、今度はもっと増やしてやろうという野心が芽生えてきます。連日パチンコに行き、結局は負け切るまでそれが続きます。結局は3万円のキャッシングです。

この感覚と異常行動が紛れもなくギャンブル依存です。今思えば、本当に常軌を逸していました。改めて振り返り、「自分が自分じゃない」感覚に恐怖を覚えました。それと合わせて数万円の勝ち負けに一喜一憂する自分に嫌気が刺しました。
もう二度とそんな生活には戻りたくないと本気で思い、真剣に自分と向き合いました。

おいらは「風俗依存」も持っていました。風俗依存については後々詳しく書いてみようと思いますが、風俗はお金が出ていく一方です。お金が出ていけば前述のようにお金の不安が募ります。その不安がまたパチンコへと脚を向けさせます。今回、パチンコも風俗も辞められているのは、風俗の「底打ち」を感じたお陰です。

借金の額を見ても、首の皮一枚繋がったところで、「底打ち」を迎え、回復への一歩を踏み出すことができたと思っています。
風俗に行かなければ、極端にお金は減りません。お金が減らなければパチンコへ行く「理由」はないわけです。

合わせて、自分の中の金銭感覚を修正しました。そのひとつが、以前は「目的」だったお金という存在向き合いました。お金とはなんなのか?を真剣に考えました。そうして導き出した答えは、

「お金とは生活を維持するための『手段』である」

ということです。
普通に考えれば極々当然であるはずのことですが、おいらは今まで気付かずにいたのです。
このことに気付くと、不思議とお金への執着が薄らいできました。とは言っても長年培ってきたお金に対する不安が一気に晴れるわけがありません。

だから今は財布に2万円無くても大丈夫。という練習中です。

Twitterにはギャンブル依存を克服しようとしてる方の中には常に行きたい衝動と戦っている方もたくさんいらっしゃいます。そういう方のツイートを目にするたびに、そう言った方に比べれば、おいらのギャンブル依存とのスタンスは申し訳ないほどに楽なものだと思ってしまいます。

「行きたい、行きたい、行きたい」
「行かない!行かない!行かない!

そんなバトルを繰り広げている方は多分、ギャンブルが「目的」になっているのだと思います。

是非、一度立ち止まって、

「なんでパチンコに行きたいのか?」を考えてみませんか?

もしかしたら、そこにギャンブル依存回復のヒントがあるかもしれませんよ。



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